東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)155号 判決 1969年10月30日
東京都保谷市泉町五丁目一三番一九号
原告
岩崎忠右エ門
右訴訟代理人弁護士
山本嘉盛
樋渡洋三
東京都武蔵野市吉祥寺本町三丁目二七番一号
被告
武蔵野税務署長
砂沢日出男
右指定代理人
小川英長
片山雅準
藤田誠一郎
渡辺靖
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立て
(原告)
被告が昭和四一年七月二九日付で原告に対してした原告の昭和三九年分所得税の更正処分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
(被告)
主文と同旨の判決
第二、当事者双方の主張
(原告の請求原因)
原告は、昭和三九年分の所得税として、昭和四〇年二月一七日課税標準額を七万九、六六〇円、税額零と確定申告し、さらに、昭和四一年三月八日課税標準額を八一万六、六九九円、税額を七万五、〇〇〇円と修正申告したところ、被告は、同年七月二九日付で課税標準額を七四五万五七円、税額を二七五万三、八五〇円と更正するとともに、三、七五〇円の過少申告加算税の賦課決定をした。しかし、原告には被告の認定に係るごとき所得はないので、右更正処分は、違法である。
(被告の本案前の抗弁に対する反論)
被告が本案前の抗弁として主張する事実は認める。しかし、原告は、審査棄却裁決を不服として昭和四二年二月一八日東京国税局長にあてて「誤謬訂正請求書」なる書面を提出したところ、右書面は、同局税務相談所に回付され、その調査を担当した協議官川入渡は、「事実に誤りがあれば職権で訂正する。」旨言明したので、原告は、その言辞を信頼して調査の結果をまつていた。しかるところ、同局協議団本部の副本部長原茂一郎より、「誤謬訂正の請求ではまずいから、右書面を再審査請求書と訂正して国税庁長官泉美之松あてに提出するように」との教示があり、原告は、右教示に従い、再審査請求書を国税庁長官あてに提出し、同年九月二二日右国税局長名義で、「再審査請求を却下する。」旨の裁決を受けた。したがつて、被告の主張するごとく、国税局長のした審査裁決に対しては重ねて審査の申立てができないこととなつているとはいえ、行訴法一四条四項の規定により右再審査却下裁決のあつた日より一週間以内に提起された本件訴えは、適法であるというべく、また、仮りに右の教示が行訴法一四条四項にいう教示にあたらないとしても、原告が出訴期間内に本件訴えを提起しなかつたのは、正当な事由によるものというべきであるから、被告の右抗弁は、理由がない。
(被告の答弁)
厚告主張の請求原因事実中、本件課税処分の経緯に関する点は認めるが、その余の事実は否認する。
(本案前の抗弁)
原告は、本件更正処分に対して異議、審査の申立てをしたが、いずれも棄却され、昭和四二年二月七日審査棄却裁決の通知を受領した。したがつて、その日より起算してすでに三か月の出訴期間をはるかに徒過した同年九月二八日にいたつて提起された本件訴えは、不適法として却下されるべきである。この点につき、原告は、本件訴えの提起が適法であるとしてるる主張するがしかし、さきに審査請求の調査を担当した協議団本部の小林主任協議官や奈良本部長は、事前に原告から電話で、二回にわたり、審査裁決の結果には不服である旨の申入れを受けた際、その都度、原告に対し、審査裁決を争うには訴えを提起するよりほかない旨を伝え、原告も、そのことを十分承知していたにもかかわらず、敢えて、訴えを提起することなく、前叙のごとく「誤謬訂正請求書」なる書面を提出するにいたつたのである。そこで、国税庁としても、これを嘆願事案の一種である税務相談の申込書として受理し、税務相談所長名義で回答をしたところ、原告の代理人大森増太郎が出頭し、協議団本部の原副本部長に面接し、税務相談所長名義の回答書では訴えの提起ができないといつて執拗に国税局長名義の文書を要求したところから、原告主張のごとく同局長名義で再審査請求却下裁決書なる回答書が出されるにいたつたのである。したがつて、本件については、行訴法一四条四項の規定の適用をみる余地はないものというべきである。
第三、証拠関係
(原告)
甲第一号証、第二号証の一ないし三、第三ないし第六号証、第七、第八号証の各一、二、第九、第一〇号証を提出し、証人大森増太郎、同川入渡、同岩崎長作の各証言を援用し、乙号各証の成立は認める。
(被告)
乙第一ないし第三号証を提出し、証人原茂一郎の証言を援用し、甲第二号証の一ないし三の成立は不知、その余の甲号各証の成立は認める。
理由
原告は、昭和四一年七月二九日付で昭和三九年分の所得税について更正処分をされ、これに対して異議、審査の申立てをしたが、いずれも棄却され、その審査棄却裁決の通知書を昭和四二年二月七日受領したことは、当事者間に争いがない。
そこで、被告の本案前の抗弁について判断する。
本件訴えは、原告が前記審査裁決の通知を受けた日から起算して七か月余を経過した昭和四二年九月二八日提起されたこと記録上明らかである。
ところで、国税局長のした審査裁決に対しては重ねて審査の請求をなしえない(国税通則法七九条五項、七六条五項一号参照)ところであるが、この点について、原告はまず、東京国税局協議団本部の職員より、誤つて審査請求をすることができる旨の教示があつた旨を主張する。しかし、もともと、協議団は、国税庁又は国税局に付置された当該国税庁長官又は国税局長の諮問機関にすぎず(同法八三条一項参照)、独立の裁決権限を有するものではないから、仮りに協議団本部の職員が原告主張のごとき指示をしたとしても、これをもつて行訴法一四条四項にいう「行政庁の教示」と認めることはできないこと明らかである。そればかりでなく、成立に争いのない甲第八号証、乙第二号証ならびに証人原茂一郎、同川入渡、同大森増太郎の各証言によれば、そもそも、原告が代理人大森増太郎を通じて昭和四二年二月一八日、東京国税局長にあてて「誤謬訂正請求書」なる書面を提出したのは、本件審査裁決に対し重ねて不服の申立てをするというのではなく、むしろ、審査裁決そのものをやりなおしてもらう趣旨であつたこと、ところが、かようなことの許されないのはいうまでもないところであるから、国税局長は、右の書面を税務相談所に回付し、同所は、これを嘆願事件として取り扱い、同年六月二八日同所長名義で原告に対し貴意にそいがたい旨の回答をしたが、これに飽き足らない大森は、国税庁に出向いて慎重な審議を要求し、同局協議団本部の副本部長原茂一郎より調査を受けるようになり、その際、同協議官に対し「国税局長にあてて提出した書面に対し、相談所長の名義で回答をすることはおかしい。裁判の関係で、是非局長名義の裁決書をもらいたい。」旨申し入れたので、同協議官は、それでは、右「誤謬訂正請求書」を再審査請求書に訂正するようにと示唆し、その示唆に従つた訂正がなされたので、同年九月二二日右国税局長名義で原告に対し「再審査請求を却下する。」旨の通知をしたことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、かかる事実関係のもとにおいては、原副本部長の前記示唆は、原告が本件審査裁決書の送付を受けた昭和四二年二月七日から起算してすでに三か月の出訴期間を徒過した後になされたものであるから、この点からみても、原告の提出した書面に対し国税局長名義で再審査請求を却下する旨の通知がなされたからといつて、右の示唆を行訴法一四条四項にいう教示と認めて、出訴期間の制限を緩和せんとする同条項の規定を適用する余地はないものというべきである。
つぎに、原告の仮定的主張は、論旨必ずしも明確であるとはいえないが、そのいわんとするところは、本件訴えの出訴期間は、税務相談所における前記「誤謬訂正請求書」調査の段階ですでに経過したのであるが、原告が右期間内に本件訴えを提起しなかつたのは、前叙のごとき川入協議官の言辞を信頼したことによるものであるから、右期間の不遵守につき民訴法一五九条にいう当事者の責に帰すべからざる事由がある場合に該当し、しかも、本件訴えは、原告が右言辞の信頼しえないことを最終的に知つた前記昭和四二年九月二二日より一週間以内に提起されたものであるから、適法たるを失わないというにあるものと解される。しかし、前掲各証人の証言によれば、被告主張のごとく、さきに審査請求の調査を担当した同局協議団本部の小林主任協議官や奈良本部長は、事前に原告から電話で、審査裁決の結果には不服である旨の申入れを受けた際、原告に対し、審査裁決を争うには訴えを提起するよりほかない旨を伝え、原告もそのことを了知していたにもかかわらず、前叙のごとく、敢えて、訴えを提起することなく、「誤謬訂正請求書」を提出し、国税局長名義の文書を要求するにいたつたことが認められ、該認定の妨げとなる資料はないので、原告には出訴期間の不遵守につき民訴法一五九条にいうその責に帰すべからざる事由があるものとは、到底解されず、原告の右仮定的主張も、その余の点について判断するまでもなく、採用の限りでないといわなければならない。
されば、被告の本案前の抗弁は、理由があり、原告の本件訴えは、不適法としてこれを却下すべきものとする。
よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡部吉隆 裁判官 中平健吉 裁判官 岩井俊)